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同じ場所 59 [鵠沼1990-2006]

Maeda Point 104 /737
  
1990                                                          2006

Resort
明治10から20年代に掛けて、“お雇い外国人”や、西洋事情に詳しい政府高官らによって、
導入され定着。当時であれば、旅に伴ったであろう緊張ではなく、くつろぎ、心地よさ。
語義的には、繰り返し訪れ、長期滞在、準定住感覚。

山の軽井沢
明治18年、宣教師A.C.ショウ氏らが避暑生活を行った事が始まりとなり、外国人たちが別荘
を建てる様になり、明治26年以降、華族、政財界、文化人たちが、高原の西洋館で洋風カント
リーライフ
を実践して行きます。

海の鵠沼
大磯、茅ヶ崎、鵠沼、葉山といったエリアは、侍医ベルツ博士が「海水浴」の概念と共に、
「自然と気候に恵まれ、オゾンが豊富」と推奨した事に因る所が大きく、明治19年に大磯、
20年に鵠沼海岸海水浴場開設され、東京から1時間半~2時間程度の好立地から、別荘
地として、閣僚、財界人、文士芸術家たちのサロン的展開を見せました。勿論、西洋館もあ
りましたが、真白き富士の峰、白砂青松、「松林の中の茅屋」的日本の田舎風情が基調。


明治22年頃、御用邸候補地として、鵠沼と葉山が挙がっていました。鵠沼を推した大給子
爵(徳川・松平系)は、自ら現鵠沼松が岡一帯の砂丘約36haを先買いしましたが、ご存知
の様に、葉山御用邸となったので、さあ大変。

この何もない約36haの砂丘が、日本初の面開発、別荘地分譲となり、地元の人々と、
所謂別荘族たちが、
松を植えながら、まちをづくりを進め、期せずして、英国の田園都市構
想の時期とも前後しつつ、今で言うリゾート通勤、スローライフの先駆けとなった次第です。
大磯、葉山、茅ヶ崎等は、個別に別荘を建てたのでしたが、鵠沼別荘地は、「まちをつくった」
と言う特殊性です。

鵠沼定点観測 「まちの記憶」 撮影点 737  ←クリックで詳細
松が岡を中心に、藤ヶ谷、鵠沼海岸、片瀬海岸など、旧鵠沼別荘地及び周辺エリア

1990年&2006年/同地点、ほぼ同アングルで撮影、比較

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